――20時半 食事を終えたオリビアは見送りするマックスと一緒に店を出た。「それで自転車はどこに止めてあるんだ?」マックスが周囲を見渡す。「ここに止めてあるわ」オリビアは店の路地脇をに置かれた自転車を指さした。「へ〜これがオリビアの自転車か。女で乗っているのは本当に珍しいよな。すごいじゃないか」「そう? ありがとう」いつの間にか、2人は砕けた口調で話をするまでになっていた。「もう遅い時間だが、家は近いのか?」「近いわよ。せいぜい自転車で10分程の距離だから。でも歩きだと20分はかかるけど」「へ〜それは便利だな。だったら、ちょくちょく来店出来るよな?」「え?」その話に、オリビアはマックスの顔を見上げる。「美食家のフォード家の御令嬢が足繁く来店してくれれば店の評判も上がるからな。その分サービスはするし、店にいる間は悪い男が絡んでこないように俺が見張っているから」「あ……ひょっとして私をカウンター席に移動させたのも、食事の間ずっと傍にいたのも、そのためだったの?」「ああ、そうさ。何だよ、今頃気づいたのか?」マックスが肩をすくめる。「ええ、……ごめんなさい。気づかなくて」「そんな謝ることはないって。でも、本当冗談抜きでたまに来店してくれるか? 新メニューを考えておくからさ」「まさか、この店の料理ってマックスが考えたの!?」「当然だろう? 俺はこの店のオーナーなんだぞ? 自分で考案して、レシピを雇った料理人に作らせている。それで俺はウェイターをして、悪い客がいないか見張ってるんだ。何しろ、昼間の時間帯は姉の店だから評判を落とすわけにはいかなくてね」「そうだったの……」(この人、口調も態度もどこか乱暴だけど……いい人みたい)「おい、心の声が漏れているぞ」「あ、ご、ごめんなさい!」まさか口に出していたとは思わず、オリビアは顔を真っ赤にさせた。「ハハ、別に謝らなくていいって。自分でも貴族らしくないと思ってるんだ。それじゃ気をつけて帰れよ。今度は婚約者も連れてくればいいんじゃないか? そうすれば安心だろうし、売上にも貢献してもらえそうだ」「え? 婚約者がいること、知っているの?」「あぁ、まあな。2年の女子学生の中で一番の才女だということで、試験結果が張り出される度、ギスランが自慢していたからな」「ギスランが私を自慢……?」
自転車に乗って、僅か10分ほどで屋敷に戻ってきたオリビア。扉は案の定閉まっていたので、鍵を開けて中に入ると自室へ向かった。「お帰りなさいませ、オリビア様!」部屋に戻ると、室内で待っていたトレーシーが駆け寄ってきた。「ただいま、トレーシー。私が出かけた後、何も変わりなかったわよね?」「いいえ、ありました。事件発生です!」オリビアの質問に、トレーシーは大きく頷く。「え! 事件? 何があったの!?」「はい。夕食時に不在のオリビア様の席にパンとスープが置かれたことで旦那様が激怒し、ついでにニコラス様と奥様も怒って、主犯格のメイドが1人クビになりました」トレーシーは余程興奮しているのか、一気にまくしたてる。「ちょ、ちょっと待って。落ち着いて頂戴。状況がよく分からないから順を追って説明してくれる」「あ……申し訳ございません。ではもう一度説明させていただきますね」そこで、トレーシーは今夜の食事会で起こった出来事を細かく説明した――****「……そう。そんなことがあったのね? 確かにちょっとした事件ね」オリビアはトレーシーが淹れてくれたお茶を一口飲むと、口元に笑みを浮かべた。「はい、それはすごい光景でした。まさか旦那様がオリビア様に出された食事の件で、あれほど激怒されるとは思いもしませんでした。でもオリビア様が仰った通りになりましたね」「そうでしょう? 父は食に関してうるさいから子供の頃はしょっちゅう料理長が入れ替わっていたの。どうも料理が気に入らなくてクビにしていたみたい。そのことを思い出したのよ。何しろ食事に関して父は、とてもプライドが高いから」「確かに使用人である私達の料理も豪華ですね」納得したかのようにトレーシーが頷く。「だけど、まさかあのメイドがクビになるまで追い込められるとは思わなかったわ」「彼女、旦那様の前に連れてこられたとき真っ青な顔色でガタガタ震えていましたよ。奥様にまで怒鳴られていい気味でした。大体前からオリビア様に嫌がらせをしていて気に入らなかったんですよ」「そうね。今までの私なら、あのまま食事の席に着いて、ことを荒げないようにしていたでしょうけど……もう媚を売らないことにしたの。いくら私が皆に好かれるように愛想を振りまいても、何も変わらなかったわ。だからこれからは自分の思うように生きることに決めたのよ」そう言
—―翌朝いつものように6時半にセットした目覚まし時計でオリビアは目が覚めた。「う~ん、良く寝たわ」伸びをして起き上がると、部屋の中がいつもより薄暗いことに気付く。「あら? もしかして……」ベッドから降りて、カーテンを開けてみると外は生憎の雨だった。「雨……困ったわ。自転車で行けないわ」いつものオリビアなら、遠慮して馬車を出すのを躊躇っていた。けれど、憧れの女性、アデリーナを思い出す。「そうよ、私だって立派なフォード家の人間。遠慮する必要は無いわ。堂々と馬車を出して貰えばいいのよ」オリビエは完全に割り切ると、朝の支度を始めた。7時になり、専属メイドのトレーシーが部屋に現れた。「おはようございます、オリビア様。あ……また、お一人で朝のお支度をなさったのですか?」「ええ、自分の支度位、1人で出来るわよ。あなたはまず自分の仕事を優先してちょうだい」義母や異母妹には専属メイドが複数人いたが、オリビアにはトレーシー1人のみだった。当然、トレーシーは忙しい。なので出来るだけ負担をかけないようにオリビアは出来るものは自分でやってきたのである。「ありがとうございます。お仕えする方がオリビア様のような方で、本当に良かったです」大袈裟にお礼を述べるトレーシーにオリビアは笑みを浮かべる。「大げさね、トレーシーは」「あ、そう言えば仕事仲間に聞いたのですが、昨夜は深夜になっても旦那様の書斎から明かりが洩れていたそうです。珍しいこともあるものだと仲間内で話題になっていましたよ」「まぁ、そうなの? いつもお父様は22時過ぎには就寝しているのに……何かあったのかしら? でも、どうでもいいことだけどね」割り切ることに決めたオリビアは潔かった。「何だか、オリビア様。たった1日で変わりましたね。まるで魔法にかかったみたいです」「ううん。魔法にかかったのではなくて、多分魔法が解けたのかもしれないわ」勿論、魔法を解いてくれたのは……アデリーナであることは言うまでも無い。その時。—―ボーンボーンボーン7時半を告げる時計の音が鳴り響いた。「あ、朝食の時間だわ。行ってくるわね」「はい、行ってらっしゃいませ」オリビアはトレーシーに見送られ、ダイニングルームへ向かった。長い廊下を歩きながら、窓の外にめをやると外は本降りの雨になっている。「酷く降って来たわね…
いきなり手首を掴まれたメイドは、ギョッとした。今迄何を言われても言い返しもせず俯いて通り過ぎていた相手だけに、受けた衝撃は計り知れないものだった。「な、何をするのですか、オリビア様! 離して下さい!」「それは、こちらの台詞よ。今、あなた達はここの使用人にも関わらず私の悪口を言ったのよ? 一体どういうつもりなの!?」強い口調でオリビアは2人のメイドを交互に睨みつける。「ど、どういうつもりって……」 「それは……」メイド達は口を閉ざす。どういうつもりだと言われても答えようが無い。単にオリビアに嫌がらせしたいだけなのだから。「……もしかして、シャロンから私に嫌がらせをするように命令されているのかしら?」「いいえ!」 「それだけは違います!」オリビアの言葉に必死に首を振る2人のメイド。シャロンはオリビアに嫌がらせをするようにメイド達に指示したことは無い。そのことを知っていたオリビアはあえて、シャロンの名前を口にしたのだ。「そう。なら私に対する暴言は自分たちの意思だったということなのね?」「そ、そう……です……」 「私達の意思です……」観念したかのように俯くメイド。オリビアは未だにメイドの手首を掴んだまま、続ける。「使用人の立場でありながら、貴族である私にそんな態度を取っていいと思っているの? 確かこの屋敷で働いているメイド達は全員、協会からの紹介状を貰って雇用されているわよね。そこに訴えてもいいのよ? 雇い主の家人に暴言を吐いているって。フォード家の名を出せば、あなた達の立場はどうなると思う?」「ええ!? そ、そんな!」 「どうか、それだけはお許しください!」増々メイド達は青ざめる。「そう。どうしても許して欲しいのなら今すぐ私に謝って、二度と罵詈雑言を吐かないと約束してもらおうかしら?」オリビアは掴んでいたメイドの手首を放した。「大変、申し訳ございませんでした!」 「もう二度とこのような真似は致しません! どうかお許しください!」震えながら、頭を垂れる2人のメイド。「本当に反省しているのね? 絶対に二度と言わないと誓える?」「はい! 反省しています!」 「二度と言わないと誓います! だ、だからどうかお許しを……」協会に目をつけられてしまえば、二度と彼女たちはメイドとして雇用して貰えない可能性がある。
「あ……シャロン様」「わ、私たちは……」ベッキーとバーサは震えながらシャロンを見つめる。その様子に異変を感じたシャロンは、オリビアを睨みつけると指を差してきた。「ちょっと! 私のメイド達に何をしたのよ!?」「……」けれどオリビアは返事をせずに、踵を返すとダイニングルームへ歩いていく。「え?」まさか無視するとは思わずにシャロンは一瞬目を疑い……すぐに我に返った。「ちょっと! 何無視してるのよ! あんたに言ってるのが分からないの!?」必死で叫ぶもオリビアは足を止めない。「待ちなさいよ! オリビアッ!」名前を呼ぶと、そこでようやくオリビアは足を止めて振り返った。「オリビアじゃないでしょう?」「……え?」「あなたは私の妹よね? それなのにオリビアと呼ぶのはおかしいでしょう?」「はぁ!? 一体何を言ってるのよ!? この家の厄介者のくせに!」愛らしい外見とは裏腹に、シャロンは目を吊り上げてオリビアを怒鳴りつける。シャロンは世間ではまるで天使の様だ等ともてはやされてはいたが、実は裏表の激しい性格だったのだ。この事実を知る者は極わずかで、義母とオリビア。そして一部の使用人達のみだった。当然、兄も父も知るはずもない。シャロンは我儘に育てられたせいもあり、一度怒らせると手の付けようがない娘に成長してしまったのだった。人々の前でいい子ぶり、ストレスの反動がくるとオリビアに当たり散らす……それがシャロンの本性だ。そこでオリビアはシャロンのご機嫌を取って、今まで怒りを鎮めてきたのだが……。(本当に今までの私は何をしていたのかしら。何故こんな我儘妹のご機嫌を取っていたのか自分でも謎だわ)アデリーナによって目が覚めたオリビア。もう、媚を売る彼女はここには存在しない。オリビアはシャロンに向き直った。「あら、久しぶりに怖い顔ねぇ……でもいいの? こんなところで大きな声をあげていると父や兄に聞かれてしまかもしれないわよ?」オリビアはチラリと視線を動かし、ダイニングルームの扉を見つめた。「くっ……! お、お姉さま? 私のメイド達に一体何をしていたのでしょうか?」怒りを抑え、作り笑いを浮かべてシャロンは尋ねてくるが……口元がピクピク痙攣している。「それは、ここのメイド達が私に暴言を吐いたからほんの少し注意していただけよ。そうよね?」その言葉に
「あ……! お、お兄様……!」まさかミハエルに見られていたとは気づかず、真っ青になるシャロン。「シャロン……一体、どうしたんだ? さっきの姿は、まるでお前らしくないじゃないか」ミハエルが尋ねると、オリビアは大げさな素振りで否定した。「いいえ? 今の姿がシャロンの本当の姿ですけど? もしやお兄様は何も御存知無かったのですか? 同じ家族なのに?」「何だって? それは本当の話か?」オリビアの話にミハエルは目を見張ると……。「はぁ!? オリビア! いい加減なこと言うんじゃないわよ!」再び噛みつくように叫ぶシャロン。既に頭に血が上っているシャロンは、まともな思考能力を失っていた。ミハエルの眼前で、本性を現してしまったのだ。「あら? いいの、シャロン。大好きなお兄様の前でそんな態度を取って……ほら、御覧なさい。お兄様ったら……あんなに驚いているじゃないの」「え……あ!!」シャロンは振り向き。呆然とした顔で自分を見つめるミハエルとまともに視線が合ってしまった。その瞬間、一気に冷静さを取り戻す。「あ、あの違うんです! お兄様! こ、これは……そ、そう! 全てお姉さまがいけないんです! 悪いのは私では無く、目の前にいるお姉さまなんです!」シャロンはオリビアを指さし、必死で訴える。「シャロン……」ミハエルには先程のシャロンの激高した姿が頭から離れずにいた。佇んでいるとオリビアが追い打ちをかける。「人を指さし、姉である私を呼び捨てする段階でどちらが悪いか……賢明なお兄様ならお分かりになりますよね?」(賢明……? 俺が賢明だと?)オリビエの言葉に、ミハエルの心が大きく揺さぶられる。ミハエルはオリビアを嫌悪し、無視してきた。オリビアは大好きだった母の命と引き換えに生まれてきたからであった。だが、それは建前に過ぎない。本当の理由は、オリビアに対する劣等感だ。ミハエルはフォード家の長男であり、いずれは家督を継ぐ存在。それゆえ父からの期待は厚く、ミハエルはその期待に応えるために勉強も剣術も必死で努力を積み重ねてきた。剣術の腕前は確かなものになったが、いくら努力してもオリビアに敵わなかったのが勉強だった。優秀な貴族だけが通える難関大学に入学する為、ミハエルは寝る間も惜しんで勉強したが不合格だった。けれど、オリビアは違った。左程勉強する素振りも無
「え!? ち、父上!? いつの間にこちらにいらしたのですか? てっきりまだ寝室にいたのだとばかり思っていましたが?」「そんな話はどうでもいい! ミハエル! シャロンの言ったことは本当か!? お前は、賄賂を払って騎士団試験に合格させてもらったのか!?」父、ランドルフはズカズカとミハエルに近付くと眼前で足を止めた。「どうなのだ! 答えろ!」「そ、それは……」冷や汗を流すミハエルの側で、シャロンが大きな声で頷く。「はい! そうです、お父様! お兄様は先月、屋敷を訪ねてきたフードをかぶった男性にお金を渡していました。私はたまたま近くでその様子を見ていたのでよーく分かっています。『ここに金貨100枚入っている。必ず俺を騎士団試験に合格させてくれ』と、はっきりおっしゃってました!」「何! 金貨100枚だと!?」「まぁ! 金貨100枚!?」ランドルフとオリビアが同時に驚く。何しろ、金貨100枚と言えば大金だ。領地の税収1年分にあたる。「シャロンッ! こ、このバカ!」ミハエルは真っ青になって怒鳴りつけ、シャロンも負けじと言い返す。「バカはどっちよ! 才能も無い癖に騎士団試験を受けようとするからでしょう!」一方、高みの見物をしているのはオリビアだった。本当はシャロンとミハエルの口喧嘩が始まった段階で、退散しようとしたのだが父親の登場で話は変った。(これは何だか面白いことになってきたわね)ワクワクしながら様子を見守るオリビアの前で、今度はランドルフの怒りが爆発する。「ミハエル! その金は一体何処から工面した! いくらお前でも、それほどの貯金があるとは思えぬぞ! もしや……金庫の金に手を出したか!?」「た、確かに少し拝借しましたが……いいではありませんか! その賄賂のお陰で俺は、あの競争率の高い騎士団に入団出来たのですよ!? あそこはとても給料が高いです! すぐに元を取り戻せますよ!」「何だと! 我が家の金庫の金に手を付け、尚且つ卑怯な手を使って騎士団に入団したくせに、開き直るな! このクズ息子め! こんなことなら、オリビアの方がお前よりもまだずっとずっとマシだ!!」(あら、お父様がついに私のことを認めたのかしら?)けれど、今更父親に認められてもオリビアの心には何も響かない。彼女はいつまでも自分を顧みない家族に見切りをつけ、アデリーナを崇拝してい
4人の視線が一斉にゾフィーに向けられる。ついに家族全員が揃ったのだ。(まぁ、今度はお義母様まで出てくるなんて……これはますます騒ぎになりそうね)オリビアは一歩下がると、騒ぎの行方を見守ることにした。「あなた! 今ミハエルが言っていたことは本当なの!?」ゾフィーは険しい顔で、ヒールをならしながら近づくとランドルフの前で足を止めた。「ち、違う! 彼女はただのウェイトレスで、私は単なる客だ! それだけの関係だ! 断じてお前が考えるようないかがわしい関係では無いからな!」ランドルフは早口でまくし立てる。「何ですって!? いかがわしい関係ですって!!」ゾフィーの顔が増々険しくなる。「そんな! 汚らわしいわ! お父様!」自分のことを差し置いて、父親に文句を言うシャロン。傍観者を決め込んでいたオリビアであったが、さすがに今の台詞には一言物申したくなった。「あら、シャロン。人の婚約者に手を出しておいて、どの口が言うのかしら?」「うるさいわね! オリビアのくせに口を出すんじゃないわよ! 大体あんたに魅力が無いから、ギスランに捨てられたんでしょう! あの男も単純よ。ちょっと笑顔と甘い声ですり寄っただけで、簡単に落ちるんだから!」「シャロン! オリビアに何て口を利くんだ! 大体、ギスランはオリビアの婚約者だ。それなのに手を出すとは……このあばずれめ!」ミハエルは先程オリビアから『賢明なお兄様』と言われたことで、オリビアの肩を持つ。「誰がアバズレよ! こっちだってねぇ、好き好んでギスランに声をかけたわけじゃないのよ! お母様に陰気なオリビアから奪ってやりなさいって言われたからよ! そうでなければあんな男、私が相手にするはずないでしょう!!」噛みつくように叫ぶシャロンに、ギョッとするランドルフ。「シャロン……今の態度は一体何だ? いつもの可愛らしいお前はどこにいったのだ? 仮にもギスランはオリビアの婚約者なのだぞ! まだ15歳の子供が男を略奪など、もってのほかだ!」そして、ついでにゾフィーにも怒鳴りつけた。「大体ゾフィー、そもそもお前が悪い! 自分の娘になんて真似をさせるのだ!」「何ですって!? 自分のことを棚に上げて、どの口で言っているのよ! あなたこそ、年若いウェイトレスの愛人を囲っているくせに! 非の打ちどころの無い妻であるこの私がいながら!
「ほう~俺が決闘内容を決めて良いというのか? 随分と余裕があるじゃないか?」ディートリッヒの挑戦的な言葉に、アデリーナはフッと笑う。「一応貴方はまだ私の婚約者ですからね。せめてもの恩情です。さ、どれになさいますか? 馬術、剣術? それとも学力試験で競い合いましょうか? カードで勝負するのも良いかもしれませんね?」「な、なんて生意気な女だ……いいだろう、なら俺から決闘方法を選ばせてもらおう」「ええ、どうぞ」「そうだな、なら……」ディートリッヒは偉そうな態度を取ってはいるが、心中は全く余裕が無かった。彼は心底、今のアデリーナに怯えていたのだった。(一体、アデリーナの堂々とした態度は何だっていうんだ? いや、違うな。この女は昔からふてぶてしい態度を取り続けていた。いつも何処か俺を見下したような態度を取って全く可愛げが無い生意気な女だった。だから俺は外見は可愛くて、頭が空っぽそうなサンドラにちょっと声をかけただけなのに……)自分の腕にしがみつき、すがるような目を向けてくるサンドラをうんざりした気分でチラリと見る。本当は、とっくにサンドラに飽きてしまって今すぐ縁を切りたい位なのに、世間では恋人同士と認識されているのでそれすら出来ない。「ディートリッヒ様、私どんな勝負でも貴方が勝てるって信じてますから」猫なで声を出すサンドラに、ディートリッヒは心の中で舌打ちする。(チッ! 人の気も知らないで、いい気なもんだ。サンドラがこんなに馬鹿だとは思わなかった。自分の立場もわきまえず、いい気になりやがって。周囲に俺と恋人同士になったと言いふらし、いつでもどこでも付きまとってくるから、切りたくても切れやしない。元はといえばサンドラのせいで俺がこんな目に遭っているっていうのに)呆れたことに、ディートリッヒは自分の浮気を全てアデリーナとサンドラのせいにしていたのだ。「どうしたのです? ディートリッヒ様。早く決闘方法を決めて下さりませんか? これ以上無駄な時間を費やしたくはありませんので、もし決められないのなら私が決めてしまいますよ?」アデリーナの催促に増々焦りが募る。「う、うるさい! 何が無駄な時間だ! こっちはなぁ、どんな決闘なら少しでもお前が有利に戦えるかって、さっきからずっと考えているんだよ!」「あら、そうですか? それはお気遣いありがとうございます。
「決闘だって!?」「侯爵令嬢が決闘を申し出たわ!」「これは大事件だ!」集まる学生たちは、目の色を変えて大騒ぎを始めた。赤い髪を風になびかせ、学生たちの好奇の視線を浴びるアデリーナの姿はオリビアの心を震わせた。(アデリーナ様……素敵! 素敵すぎるわ! あの凛々しいお姿……まさにこの世の奇跡だわ……)アデリーナの姿に感銘を受けたのはオリビアだけではない。女子学生たちの見る目も変わってきていた。「何だか……ちょっと素敵じゃない?」「ええ、誰が悪女なんて言ったのかしら」「私、好きになってしまいそう……」余裕の態度のアデリーナに対し、ディートリッヒは青ざめていた。けれどそれは無理も無い話だろう。決闘を申し込んできたのは女性、しかも婚約者なのだから。「ア、アデリーナッ! お前、本気で俺に決闘を申し込んでいるのか!?」「ええ、そうです。あなたのせいで私の大切な友人が手を怪我したのですから当然です!」その言葉にオリビアは衝撃を受けた。(え!? まさか決闘って……私の為だったの!?)一方、面食らうのはディートリッヒ。「何だって!? 俺は誰も怪我させたりなどしていないぞ! 言いがかりをつけるな!」「確かに、直接手を下したわけではありませんが……ディートリッヒ様! 貴方のせいで彼女が怪我をしたのは確かです! それに手袋を拾った以上、決闘の申し込みを受けて頂きます!」「くっ……」大勢のギャラリーに見守られ、逃げ場がないディートリッヒ。「そ、それじゃ……勝者にはどんな得があるんだ?」「そうですね。もしディートリッヒ様が私に勝てば、どんな命令にも従いましょう」「そうか。ならもし俺が勝ったら地べたに這いつくばって、サンドラに詫びを入れて貰おう」「ディートリッヒ様……」サンドラが頬を赤らめ、周囲のざわめきが大きくなる。「おい、聞いたか? 謝れだってよ」「そんな……侯爵令嬢が男爵令嬢に謝るなんて」「これは屈辱だな」「ええ、良いでしょう。地べたに這いつくばるなり、何なりとしてあげますわ。それどころか1日、サンドラさんのメイドになって差し上げてもよろしくてよ?」「ほ、本当ですか? 本当に……私のメイドになってくれるのですね?」サンドラが図々しくもアデリーナに尋ねてくる。「ええ、ただし私が負けたらですけど?」毅然と頷くアデリーナに、ディート
それは昼休みのことだった。親友のエレナが今日は婚約者のカールと昼食をとるということで、オリビアは1人でカフェテリアへ向かうため、他の学生たちに混じって渡り廊下を歩いていた。中庭近くに差し掛かったとき、大勢の学生たちが集まって何やら騒いでる様子に気付いた。(一体何を騒いでいるのかしら)少し気になったが、そのまま通り過ぎようとしたとき学生たちの会話が耳に入ってきた。「またアデリーナ様とディートリッヒ様か」「本当に騒ぎを起こすのが好きな方ね。さすがは悪女だわ」「でも、あれじゃ文句の一つも言いたくなるだろう」「え!? アデリーナ様!?」オリビアが反応したのは言うまでもない。「すみません! ちょっと通して下さい!」群衆に駆け寄り、人混みをかき分け……目を見開いた。そこには例の如く、ディートリッヒと対峙するアデリーナの姿だった。当然ディートリッヒの傍にはサンドラがいる。そしてディートリッヒはいつものようにアデリーナを怒鳴りつけていた。「いい加減にしろ! アデリーナッ! 毎回毎回、俺達の後を付回して! 言っておくが、今度の後夜祭のダンスパートナーの相手はお前じゃない! ここにいるサンドラと決めているからな! いくら頼んでも無駄だ! 覚えておけ!」「は? 何を仰っているのですか? 私がディートリッヒ様の前に現れたのは、まさか後夜祭のパートナーになって欲しいと頼みに来たとでも思っていたのですか?」両手で肘を抱えるアデリーナは鼻で笑う。「何だよ。違うっていうのか?」「ええ、違いますね。大体ディートリッヒ様が私のパートナーになるなんて冗談じゃありません。こちらから願い下げです」「……はぁっ!? な、何だとっ! 今、お前俺に何て言った!?」「もう一度言わなけれなりませんか? 仕方ありませんね……では、言って差し上げましょう。ディートリッヒ様と一緒に後夜祭に行くぐらいなら、カカシを連れて参加したほうがマシですわ」すると周囲の学生たちが一斉にざわめく。「おい、聞いたか?」「まぁ、カカシですって?」「よもや、人ではないじゃないか」「お、おかしすぎる……」「アデリーナ様……」オリビエも驚きの眼差しでアデリーナを見つめていた。「アデリーナッ! よりにもよってカカシの方がマシだと!? お前、一体なんてことを言うのだ! 冗談でも許さないぞ!」
大学へ行く準備を済ませ、オリビアエはエントランスへ向かった。「おはようございます。オリビア様」「これから大学ですか?」「お気をつけて行ってらっしゃいませ」すれ違う使用人たちが丁寧にオリビアに挨拶をしていく。これはオリビアにとって、ちょっとした驚きだった。(まさか、ここまで周りが変わるなんて本当に驚きだわ。今まで皆挨拶どころか、すれ違いざまに悪口を言う使用人が多かったのに。やっぱりアデリーナ様の言う通り、我慢する必要は無かったということよね)エントランスに到着したので、オリビアは上機嫌で扉を開けた。 すると目の前に馬車が待機しており、笑顔のテッドの姿がある。「まぁテッド。一体どうしたの? まさか私を馬車で送ろうと思って待っていたの?」「はい、そのまさかです。今朝は昨夜降り続いた雨のせいで道がぬかるんでいます。自転車で通学するのは大変かと思い、お迎えにあがりました」ニコニコ笑顔のテッド。「送ってもらって良いのかしら? 私の他に今日は誰か馬車を使うかもしれないのに?」「馬車はあと2台ありますし、御者も2人います。俺がオリビア様をお乗せしても大丈夫ですよ」「それはなんとも頼もしい言葉ね。だったら今日も乗せてもらうわ」オリビアは早速馬車に乗り込んだ――**** 馬車が大学敷地内にある馬繋場に到着した。「送ってくれてどうもありがとう」馬車を降りると、テッドに礼を述べるオリビア。「いえ、お礼なんて結構です。俺の仕事ですから。それではまた帰りの時間にお迎えにあがりますね」「ありがとう。それじゃ行ってくるわ」オリビアはテッドに手を振り、校舎へ向かった。 「オリビアッ!」廊下を歩いていると、背後から大きな声で名前を呼ばれた。「あら、ギスラン。おはよう。珍しいわね、貴方が私を呼び止めるなんて」「何だよ。嫌味のつもりか?」ギスランの顔に不機嫌そうな表情が浮かぶ。「別に嫌味のつもりじゃないけれど……私に何の用かしら?」「実は、オリビアに聞きたいことがあるんだが……昨夜、フォード家に電話を入れたんだよ」「え? 電話? そんな話、知らないわよ?」「知らないのは当然だろう。何しろ、俺はシャロンに電話を繋いでもらうためにかけたんだから」「え? シャロンに?」婚約者のオリビアを前にして、悪びれる素振りも無く堂々と語るギスラン。(仮に
—―翌朝 静かなダイニングルームに向かい合わせで座るランドルフとオリビアは無言で食事をしていた。ランドルフは先ほどからチラチラとオリビアの様子を伺っている。娘に話しかけるタイミングを計っているのだが、オリビアは視線を合わせる事すらしない。何とか会話の糸口をつかみたいランドルフは、そこで咳払いした。「ゴ、ゴホン!」「……」しかし、オリビアは気にする素振りも無く食事を続けている。ついに我慢できず、ランドルフは声をかけた。「オ、オリビアッ!」「……はい、何でしょう」顔を上げるオリビア。「どうだ? オリビア。今朝の朝食はお前の好きな料理を用意したのだが……美味しいかね?」「はい、美味しいです。ですがこのボイルエッグも、ブルーベリーのマフィンにグリーンスープはシャロンの好きなメニューではありませんか?」「何? そうだったか?」「ええ、そうです。私は卵料理なら、オムレツ。ブルーベリーのスコーンに、オニオンスープが好きです。尤も、一度もお父様に自分の好きな料理を聞かれたことはありませんので、ご存じありませんよね?」「そ、そうか……それはすまなかったな」途端にしおらしくなるランドルフ。「いえ、私は何も気にしておりませんので謝る必要はありません。それにどの料理も全て美味しいですから」「本当か? なら良かった。だが、オリビア。今回の件で私は良く分かった。この屋敷の中で、まともな家族はお前だけだということをな。今まで蔑ろにしてきた私を許してくれるか? これからは心を入れ替えて、お前を尊重すると約束しよう」「はぁ……」オリビアは呆れた様子で父親の話を聞いていた。(一体今更何を言っているのかしら? 生まれてからずっと、私の存在を無視してきたくせに。もうこれ以上話を聞いていられないわ。丁度食事も終わった事だし、退席しましょう)「お父様。食事もおわりましたし、これから大学へ行くのでお先に失礼します」椅子を引いて席を立ったところで、ランドルフが呼び止める。「ちょっと待ってくれ! オリビアッ!」「何でしょうか? まだ何かありますか?」内心辟易しながら返事をする。「ああ、ある。昨夜の件の続きだが……頼むオリビア! この間お前が食事してきた店を教えてくれ! この通りだ! 最近新聞社から、催促されているのだ! 若い世代に人気の定番料理に関するコラムを書い
「分かりました。お父様とどのような話をしたのか、お話いたします」「そうよ! 早く言いなさい!」ゾフィーは身を乗り出してきた。「ですが、その前に条件があります。その条件を飲んでくれない限り、お話することは出来ません」「どんな条件よ? お金でも欲しいのかしら? いくら欲しいのよ」「お金? そんなものは別にいりません。条件は一つだけです。私の話が終わったら、一切の質問もせずに即刻この部屋を出て行って下さい。いいですか?」「分かったわよ。それじゃ、どんな話をしていたのか言いなさい!」膝を組み、腕を組む。何処までも高飛車な態度のゾフィー。「お父様は、言ってましたよ。もう我が家は家庭崩壊だ、あんな家族と一緒の食事は楽しめないからごめんだと。これからは私と2人で食事をしようと提案してきたのです」(もっとも、そんな提案私はお断りだけどね)その話に、見る見るうちにゾフィーの顔が険しくなっていく。「な、な、何ですって……? ランドルフがそんなことを……? ちょっと! それは一体どういう……!」「そこまでです!」オリビアはゾフィーの前に右手をかざし、大きな声をあげた。その声に驚き、ゾフィーの肩が跳ねあがる。「ちょ! ちょっと! そんな大きな声を上げないでちょうだい! 驚くでしょう!?」「そこまでです。先ほどの私との約束をもうお忘れなのですか? 話を聞いた後は一切の質問もせずに即刻この部屋を出て行くと言う約束を交わしましたよね?」「う……お、覚えているわよ!」「だったら、今すぐ出て行って下さい。何か言いたいことがあるなら私にではなく、父に言っていただけますか?」「な、何ていやな娘なの!? ランドルフに聞けないから、お前の所に来たっていうのに……!」「頼んでもいないのに、勝手にこの部屋に来たのはどちら様でしょうか? とにかく、約束は守って頂きます。今すぐに出て行って下さい」オリビアはゾフィーを見据えたまま、部屋の扉を指さした。「くっ! オリビアのくせに生意気な……! ええ分かりましとも! 出て行くわよ! 出て行けば良いのでしょう!? 全く……ちょっとランドルフに贔屓にされたからって、いい気になって!」椅子に座った時と同様に、ガタンと大きな音を立ててゾフィーは立ち上がった。「……お邪魔したわね!」「ええ、そうですね」睨みつけるように見下ろすゾ
「ふぅ……今日は充実していたけど、何だかとても疲れた1日だったわ。こんな時はアレね」入浴を終えて、自室に戻って来たオリビアは事前にトレーシーが用意してくれていたワインをグラスに注いで香りを楽しむ。「フフ、いい香り」カウチソファに座り、アデリーナが勧めてくれた恋愛小説を手に取った時。—―ガチャッ!乱暴に扉が開かれ、義母のゾフィーがズカズカと部屋の中に入ってくるなり怒鳴りつけてきた。「オリビアッ! 一体今まで何処へ行っていたの! 私は何度もこの部屋に足を運んだのよ? 手間をかけさせるんじゃないわよ!」いきなり入って来たかと思えば、耳を疑うような話にオリビアは目を見開いた。「は? ノックもせずに部屋に入って来たかと思えば、一体何を言い出すのですか? まさか人の留守中に勝手に部屋に出入りしていたのですか?」「ええ、そうよ! これでも私はお前の母なのよ! もっとも血の繋がりは無いけどね。娘の部屋に勝手に入って何が悪いのよ」ゾフィーは文句を言うと、向かい側の席にドスンと腰を下ろした。「血の繋がりが無いのだから、私たちは他人です。大体、今まで一度たりとも私を娘扱いしたことなど無かったではありませんか!」「おだまり! オリビアのくせに! 戸籍上は親子なのだから、私はお前の母親なのよ! その親に対して口答えするのではない!」「はぁ? 今朝、散々シャロンに罵声を浴びせられていましたよね? そのセリフ、私にではなく、むしろシャロンに言うべきではありませんか?」「シャロンは部屋に鍵をかけて、閉じこもってしまったのよ! 取りつく島も無いのよ! 今はそんな話をしに来たわけじゃないわ。オリビアッ! お前、一体私たちに何をしたの! 何の恨みがあって、家庭を崩壊させたのよ!」あまりにも八つ当たり的な発言に、オリビアは怒りを通り越して呆れてしまった。「一体先程から何を言ってらっしゃるのですか? 意味が分かりません。大体元からいつ壊れてもおかしくない家族関係だったのではありませんか? そうでなければ簡単に崩壊したりしませんから。念の為、言っておきますが私には全く関係ない話です」「関係ないはずないでしょう!? さっきも父親と2人きりで楽しそうに食事をしていたでしょう? 一体何の話をしていたの! 言いなさい!」ビシッとゾフィーは指さしてきた。「あぁ……成程。つまり私と
「はぁ、そうですか……」別にありがたみもない提案に、適当に返事をするオリビア。(さっさと食事を終わらせて、早々に席を立った方が良さそうね)無駄な会話をせずに食事に集中しようとするオリビアに、父ランドルフは上機嫌で色々話しかけてくる。煩わしい父の言葉を「そうですか」「すごいですね」と、適当に相槌を打って聞き流していたオリビアだったのだが……。「ところでオリビア、昨日町へ1人で食事へ行っただろう? 何という店に行ったのだ? 私にも教えてくれ。是非その店に行ってみたいのだよ。私が行けば店の宣伝にもなるしな」この台詞に、オリビアは耳を疑った。「……は?」カチャンッ!手にしていたフォークを思わず皿の上に落としてしまう。「どうした? オリビア」娘の反応にランドルフは首を傾げる。「お父様、今何と仰ったのでしょうか?」「何だ、よく聞きとれなかったのか? 昨日お前が食事をしてきた店を教えてくれと言ったのだが」「そうですか……では、そのお店に行かれた後はどうなさるおつもりですか?」オリビアは背筋を正すと父親を見つめる。「それは勿論食事をするだろうなぁ」「なるほど、お食事ですか……それで、その後は?」「は? その後って……?」まるで尋問するかのような口ぶり、いつにもまして鋭い眼差し……ランドルフはオリビアから、何とも形容しがたい圧を感じ始めていた。「答えて下さい、食事をした後の行動を」「そ、それは……味の評価を書く為に記事を書くだろうな……」(な、何なんだ……オリビアの迫力は……当主である私が娘に圧されているとは……)いつしかランドルフの背中に冷たい物が流れていた。そんなランドルフにさらにオリビアは追い打ちをかける。「はぁ? 記事を書くですって? 一体どのような記事を書くおつもりですか?」「そんなのは決まっているだろう。美味しければそれなりの評価を下すし、まずければ酷評を書くだろう。何しろ、こちらは金を支払って食事をするのだから当然のことだ。私の責務は世の人々に素晴らしい料理を提供する店を知ってもらうことなのだから」娘の圧に負けじと、ランドルフは早口でぺらぺらとまくしたてる。「お店から賄賂を受け取って、ライバル店をこき下ろすことがですか?」「う! そ、それは……ほんの特例だ! あんなことは滅多に起こらないのだよ!」「滅多にどころ
—―18時 オリビアは自室で大学のレポートを仕上げていた。このレポートは単位に大きく関わってくる。アデリーナの助言によって、大学院進学を決めたオリビアにとっては重要なレポートだ。「……ふぅ。こんなものかしら」ペンを置いて一息ついたとき。—―コンコンノック音が響いた。「誰かしら?」大きな声で呼びかけると扉がほんの少しだけ開かれて、トレーシーが顔を覗かせた。「オリビア様……少々よろしいでしょうか?」「ええ、いいわよ。入って」「失礼します」かしこまった様子で部屋に入って来たトレーシーは深刻そうな表情を浮かべている。「トレーシー。どうかしたの?」「あの、実は旦那様がお呼びなのですが……」「え? お父様が?」今迄オリビアは個人的に父に呼び出されたことはない。ひょっとすると、今朝の出来事で何か咎められるのだろうか……そう考えたオリビアは憂鬱な気分で立ち上がった。「分かったわ。書斎に行けばいいのね?」「いえ、違います。ダイニングルームでお待ちになっていらっしゃいます」「え? ダイニングルームに?」「はい、そうです」「おかしな話ね……今まで食事の時間に呼ばれたことはないのに」「そうですよね……」オリビエとトレーシーは顔を見合わせた——**「お待たせいたしました。お父……さ……ま?」ダイニングルームに入ってきたオリビアは驚いた。何故なら真正面に父——ランドルフが満面の笑みを浮かべて待ち受けていたからだ。父の左右には給仕を兼ねたフットマンが立っている。しかも、いつも着席しているはずの義母、シャロン、兄ミハエルの姿も無い。「おお、待っていたぞ。オリビア、さぁ。席に着きなさい」ランドルフは自分の向かい側の席を勧めてくる。「はぁ……失礼します」そこへ、スッとフットマンが近づくとオリビアの為に椅子を引いた。これも初めてのことだった。何しろこの屋敷の使用人達は全員オリビアを見下していたのだから。「……ありがとう」慣れない真似をされたオリビアは落ち着かない気持ちで礼を述べる。「いいえ、とんでもございません」ニコリと笑うフットマン。……彼は今まで一度もオリビアに挨拶すらしたことが無い使用人だ。「よし、それでは早速食事にしようか?」ランドルフの言葉と同時にワゴンを押したメイドが現れ、次々に料理を並べていく。どれも出来たて